『ザ・サークル』

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的を得た映画だなって思いましたね。

シェア数がハンパないSNSを運営する巨大IT企業に就職した新人女性社員が、企業の思惑に振り回された挙句、とんでもない悲劇が起こる話。
だけど、その悲劇が起きてからがこの映画が描きたい本当の悲劇。

とにかく怖かったですね。
リアリティも高いので、余計背筋が凍る作品だった。

悪趣味で、胸糞も悪くなる不愉快極まりない話に完成されていて、それが素晴らしかった。
企業が悪、個人が被害者で、ヒロインが悪事を暴くみたいな決して勧善懲悪に作っていないのが現実を見据えていて良かったです。

プライバシーってなんか死語になりつつあるのかなぁなんて最近思います。

多くの人が監視されることを受け入れ、私生活を自ら好き好んで晒しているわけですから。

Facebookに本名登録して色々な情報を提供している時点で個人情報もクソもない。

何でも晒して、何でも共有して、何でも隠さないのが普通みたいな思想が正当化されていく気持ち悪さ。

冷静さを失って、思考停止で生活しちゃってるのが私たち小市民ということなんだと思いました。

今まさにこんな世界だよなぁなんていちいち頷きながら観ました。

たぶんテクノロジーという面ではますます進化が止まらないので、仕組みやツールもそこに伴って進化しますよね。
だけど、人間自体の根性は変わらないという気がします。

人間の虚栄心、自己顕示欲、醜悪さみたいのがドバドバ垂れ流されているのがネット社会の昨今じゃん。
気楽になんでも発信できる世の中に発展しちゃったので、人間の心の一端もそこから分かっちゃう。

この映画はネット社会の問題として色々描いてるじゃん。
監視社会、プライバシー侵害、SNSによる行き過ぎた情報共有、一部の組織にだけ情報が集中してしまう管理体制など。

だけど、そこらのテーマよりさらに深く突っ込んでいくのがネット社会で生きる人間のあり方について。
冷徹に、冷淡に見つめていたのが印象的でした。

一番の問題は、後半に起こるある人物の痛ましい死。
ある意味、ここで発生する悲劇には登場人物全員に責任がある。

なのに、その後はほとんど問題にならない辺りがゾッとします。

誰もが人の死に対してまるで人事。

驚くほどあっさりと描かれてて、嘆いていたはずの我らが主人公エマ・ワトソンでさえ心がないのだ。
そう。
エマ・ワトソンの開き直りぶりが悪魔すぎw

エマ・ワトソンのキャラクターはSNS時代の問題を意識させるために作為的に描かれていて、問題提起そのものだったとも言えます。

腹黒いサークルの経営者を演じるトム・ハンクスも貫禄だった。

『ザ・サークル』はSNS社会においては集団の欲望のみが優先されてしまうことを痛感させてくれる。
たとえ人の死を招いたとしても。

どんだけテクノロジーやシステムが高度に進化しても、人間の心はそれに比例しないのだ。
この映画はその意味で人間性の圧倒的欠落と未成熟を突いていて、ラストも死ぬほど恐ろしかった。

今年最も不快な気持ちにさせられた映画。
もちろんいい意味ですけどw

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