ふぅ~、やりましたオレ。
観ちゃった。
これがスコセッシ。
スコセッシの映画。
それが『アイリッシュマン』。
とにかくスコセッシすぎて、もはや言葉を失いますよね。
感動とか超越して、ただただ放心状態。
もーね、あまりにスコセッシでしたね。
あんまり細かくどうこう言いたくないというか、話がどうとか演出や演技がどうとかね。
そんな作業は野暮ってもんです。
ナンセンス。
なんつっていーのかね、信じられないぐらいスコセッシだった。
こんなスコセッシがオレは観たかったんですよね。
しかも、わざわざ映画観まで行かなくても、安アパートの茶の間でボサーッと観れた。
配信って最高w
つーか、ネトフリって映像作家にやりたい放題やらせてくれる懐の深さと器の大きさが魅力ってイメージが強い。
そんな環境だから作ることが出来たバリバリなスコセッシなんだと思います。
『沈黙』とかやった後には、ちょっとこの手の世界観でストレートなスコセッシ映画って作りづらいじゃないですか。
やってることがオレが好きすぎるスコセッシらしさで充満してるので、これは自由に作らせてくれるネトフリ様に感謝しかない。
コテコテにスコセッシのギャング映画やっていた。
スコセッシ以外誰も作れない「これぞスコセッシ!」って刻印があらゆる場面でガッツリ彫りこまれていて、惚れ惚れしました。
そして、最後の40分で表現してたあの虚しさね。
ギラギラしてた90年代じゃない、年を重ね、冷静さも高まり、思慮深くなった今のスコセッシだからこそ触れることができた「その後」の描写。
泣けるどころの話じゃなかったです。
なんだか複雑な心境に到達して、ワケもわからず溜息が出ましたね。
スコセッシはいまだに成長してるのだ。
最後の瞬間までひたすら凄い映画だった。
マーベル批判しないとならなかった映画の歴史を作ってきた巨匠が、自身の信念を裏付ける圧倒的芸術。
スコセッシみたいな映画的偉人のホカホカの新作『アイリッシュマン』。
まさかのネトフリのオリジナル映画で登場。
こんな日が来るとは誰も思わなかったはず。
時代ですね、時代。
いい時代来たねw
オレみたいな貧乏で、怠け者の映画好きには逆に配信スタイルは好都合w
『アイリッシュマン』をオレは観た。
観ようと思えば、ネトフリにログインしてすぐ観れる。
スコセッシの新作がですよ。
いまだに信じられん。
『アイリッシュマン』を鑑賞する行為自体があまりにも素晴らしいし、尊く、かけがえがないのだ。
スコセッシは間違いなくこの映画を作った。
デ・ニーロもパチーノもジョー・ペシもハーヴェイ・カイテルも間違いなく出てた。
スコセッシの極み。
3時間半といういつもの長さで堂々と提出されたw
それでも、いつまでも観ていたい気持ちにさせてくれるのがスコセッシ。
全部ことごとくスコセッシ。
隅から隅までスコセッシが宿っていた。
スコセッシはハリウッドの絶対的存在であり、神であり、映画という概念そのもの。
永遠に変わらない。
今すぐ『アイリッシュマン』観ろ!