『ボヘミアン・ラプソディ』

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始まった瞬間にいきなり心のそこから感動させられる映画って、少なくとも2018年は初めて。

20世紀FOXのあのいつものロゴの登場の時点から、すでにクイーンを感じさせてくれるなんて泣けた。

本作は厳密には実話じゃないみたいだけど、ミュージシャンの伝記映画ではよくあるお約束展開なので、陳腐といえばそうかもしれない。

でも、描かれるバンドがクイーンですからね。
ディープ・パープルでもレッド・ツェッペリンでも、ましてはデフ・レパードなんかじゃない。
クイーンだからこそ立派に、ドヤ顔でこの映画は映画として成り立つのだ。

クイーンのスペシャル感って理屈を超越してる。
それをこの映画は十分すぎるほど分かっていた。

クイーンの楽曲って神がかり的なレベルで最高すぎることが、この映画ではいちいち気の利いたタイミングでの誕生秘話と共に表現されている。
もうね、その度に胸躍ってワクワクしちゃって、興奮度がハンパなかったw

クイーンの作り出す曲はとんでもなくキャッチーだったり、タイトル曲のボヘミアン・ラプソディみたいにどんな曲か掴めずに何が何だか分からない内に聴き込んでしまうという不思議な魅力が凄いわけです。
変幻自在で、自由奔放で、美しくて、まぎれもなくロックンロール。

フレディ・マーキュリー自身も一筋縄では行かない人物だった。
複雑で、怪奇で、異様で、強烈な個性を爆発させていた存在だよね。
フレディ・マーキュリーって人がそもそも唯一無二な存在で、圧倒的な異彩を放っている。

そんな人間的魅力に加えて、独特のステージパフォーマンスやパワフルなハイトーンボイスが彼だけの世界観を完成させていた。

性的及び人種的マイノリティへの葛藤なんかも表現者として作品作りへのインスピレーションであり、モチベーションでさえあった。

主役のラミ・マレックさんが確実にアカデミー賞総ナメ必至の、問答無用に完璧なフレディ・マーキュリー像を演じ切っていてます。
いや、もしかしたらフレディ本人。
エイズで死んだのはフェイク・ニュースだったんじゃないかって思いたいぐらいのパフォーマンス。

「ラミ・マレック、半端ないって!」

確か2018年はそんな言葉が流行になったとか。。。

フレディとクイーンが時空を超えて蘇ったとしか思えない迫力がこの映画にはある。

音楽映画としての構成とかエピソードとかを冷静に批評してしまうとそりゃいつものパターンを踏襲しているかもしれない。
だけど、それはやっぱクライマックスへ向かうために必要不可欠な儀式だったのだ。

コンサート再現度が超絶的なクライマックスのライブ・エイド。
そこへ向かっていくためにストーリー自体が展開しているようなモノなので、本当に良く考えられた素晴らしい作品だった。

ライブ・エイドはマジで鳥肌モノです。
当時のステージと観客の熱気や緊張感も復元されて、まるで現場に居合わせたかのようなその臨場感たるや異常。

なんだか分からないが自然と涙がこみ上げてくるのだ。
あんな感動は本当に人生初。
映画館じゃないともしかして体感できないのかもしれない。

『ボヘミアン・ラプソディ』は、スペシャルなクイーンを描いたスペシャルな映画。

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