なんか原作本が話題になってて、キューティ・ブロンドさんが好き好んで映画化したみたいでした。
ド田舎湿地帯で無残な死体で見つかったのが地元で人気の金持ち族若モンってことでざわつく町。
容疑をかけられたのは根っからの湿地生まれ、湿地育ちで、父親による家庭内暴力に耐えられなくなった家族構成員が次々と家出決め込み、遂にはひとりぼっちで置いていかれて以来湿地でひきこもりを守り抜く自然派のサバイバーであり、町民には厄介者扱いで、蔑まれ、疎まれる不憫な境遇のシャイ娘だったというミステリー。
そんな『ザリガニの鳴くところ』。
主役の湿っ気酷い湿地帯の奥地で自然生物を記録する孤独なオタク生活送る巷で話題のマーシュガールを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズが名演技でした。ガールと呼ぶには大人すぎてたけどw
殺人ミステリーとしてはちょっと弱いかもしれないですね。方向性としてマーシュガールの話に時間割いてるので、殺人事件が起きたという陰惨な緊張感はあまりないし、捜査の描写もなく、法廷シーンも手堅くパパッと済ませすぎてた気がしました。
おとぎ話のヒロインのような見た目と知性を兼ねた育ちの良さと都合良く現れる男性たちとの無垢なロマンス、類まれな自然観察力が評価されての経済的サクセスまでトントンと付いてきちゃうというマーシュガールの回想で語られる出来過ぎるマーシュランド人生がちょっとファンタジックすぎるなぁなんて思ったりw
とはいえ、そんな噓臭さをとりあえず受け入れる器量で最後まで観れば、実は相当良く出来ていたんだと感動することになります。
巧妙に作り込まれていたマーシュガールへの印象が一瞬で残酷に覆されるラストで、それまでのなんて事のないと思われた場面や言動がいちいち意味を持って効いてきちゃうわけです。
世間から嘲笑され、拒絶されたことで、マーシュガールにとって湿地が唯一の居場所となり、自然界の掟が自分の掟、それが常識であり、価値観になっていることが、彼女を理解し、作品のテーマを理解するには重要だったのだ。
法と秩序と善悪という社会通念なんかは自分を敵視してきた側が抱える問題であり、マーシュガールには通じない理屈。まるで意味をなさないのだ。
結局、マーシュガールを作ったのは世間であり、その世間をマーシュガールがサバイバルのために利用したってことで、幼少時代からの呪縛である男性依存、つまり人間社会からの自立と解放がなされ、所詮人間の力は自然をコントロールできないのだ。
観終わったら、なかなかああでもないこうでもないと考えさせられる奥行きのあるストーリーの作品になってて楽しめました。